戦国時代から泰平の江戸時代、そして動乱の幕末まで!名古屋城の歴代城主たち (6/12ページ)

Japaaan

そこで当主の織田信友を殺害して清須城を占拠しました。

信光は清須城を信長に明け渡します。信長は清須城に居城を移すと、那古野城を信光に与えました。

那古野城の拝領は、論功行賞と同時に重要拠点を任せるという意味があったようです。那古野城は、信秀と信長の居城であった城です。信光は、同族の中でもかなり信頼を得ていたようです。

しかし翌弘治元(1556)年、信光の身に大事件が起こります。

信光夫人の北の方と密通していた家臣・坂井孫八郎によって殺害されてしまいました。坂井孫八郎は、その直後に佐々孫介に討たれています。

この事件には、信長が関わっていたという説もあります。功臣となった信光は、信長にとって既に用済みと考えられていたのでしょうか。

その後の那古野城には、殺害に関与したという説がある林秀貞が入っています。

信光の菩提寺・凌雲寺(出典:ウィキペディア)

名古屋城前史 織田家一番家老から、追放の身に落ちた男! 留守居の城主・林秀貞

永正10(1513)年、林秀貞は織田弾正忠家家臣・林通安の子として生まれました。

『信長公記』によれば、信長が那古野城に入った時には一番家老の位置に列していたといいます。二番家老が平手政秀(信長の傅役)ですから、家中での発言力はかなりのものでした。

天文15(1546)年の信長の元服にも御供しており、信頼の高さがうかがえます。

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