戦国時代から泰平の江戸時代、そして動乱の幕末まで!名古屋城の歴代城主たち (8/12ページ)
泰平の時代に築かれた名古屋城は、対豊臣の軍事拠点! 天下人家康の九男にして最初の城主・徳川義直
慶長5(1601)年、徳川義直は徳川家康の九男として生まれました。母は側室・お亀の方(相応院)です。幼名は五郎太丸と名乗りました。
慶長12(1607)年、家康の四男である尾張藩主・松平忠吉が死去します。家康は義直に忠吉の遺領を継承させます。このとき、義直が尾張藩の藩主となったことで、尾張徳川家が始まりました。
義直は当時八歳と幼かったために、家康の居城・駿府城で養育され、尾張の国政は、平岩親吉(義直の付け家老)が代行しています。
尾張藩の中心は、当時清須城にありました。尾張藩重臣・山下氏勝は、名古屋台地への新城の築城を家康に上申します。清須城には、水害の危険性が高く、規模も大きくはありませんでした。
関ヶ原の戦い以降も、家康は大坂城の豊臣家を警戒していました。両者の緊張が高まる中、豊臣家包囲網の一環として、徳川幕府は各地の城郭を公儀普請による改修と築城を行なっていました。名古屋城の築城の前後には、丹波篠山城や丹波亀山城、伊賀上野城が改修されています。