大名から農民に、お家再興まで苦難の連続…「最後の大名」林忠崇の人生が波乱万丈すぎ!【後編】 (2/10ページ)
果たして、忠崇の運命やいかに……?
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藩主なのに脱藩して戊辰戦争を闘い抜いた「最後の大名」林忠崇の人生が波乱万丈すぎ!【前編】 武士の誇りを奪われ、職を転々とする屈従の日々「予初メ一統、縲絏(るいせつ)ノ辱ハ素ヨリ覚悟ノ事トイヘトモ、弥、刀ヲ脱スルニ臨ンテ、其心中イハンカタナシ」
※『一夢林翁手稿戊辰出陣記』【意訳】我らはみな、捕虜となる(縄に縛られ、投獄される)恥辱は覚悟していたが、いやそれにしても、いざ刀を奪われると、武士として言葉に尽くせぬ辛さである。
捕虜となった忠崇は江戸に護送された後、親戚に当たる唐津藩(現:佐賀県唐津市)の小笠原家に身柄を預けられました。
賊将として死罪は免れたものの、これまで苦楽を共に闘い抜いた元藩士ら19名とは離れ離れにされてしまいます(彼らは名古屋藩の預かり)。
一方、請西藩は改易(かいえき。領土を全没収)されてしまい、藩主の林忠弘(ただひろ。忠崇の弟?従弟?など諸説あり)は東京府士族として300石で召し抱えられましたが、藩として抵抗していなかったにも関わらず1万石から300石の97%減とは、あまりに酷い仕打ち。
これが戊辰戦争において唯一の改易案件となったのでした(あれほど頑強に抵抗した会津藩などでも、藩自体を取り潰されてはいません)。
