大名から農民に、お家再興まで苦難の連続…「最後の大名」林忠崇の人生が波乱万丈すぎ!【後編】 (7/10ページ)
「「「おめでとうございます……!」」」
併せて宮内庁の東宮職庶務課に就職が決まり、いよいよ人生が上向いて来たように見えましたが、少し張り切り過ぎたのか身体を壊して明治29年(1896年)に辞職、故郷の請西村に帰って療養します。
3年間の療養生活を経て体調が回復した忠崇は、今度は神君・徳川家康を祀る日光東照宮(現:栃木県日光市)で神官として奉職しました。
徳川家に対して誰よりも忠義に篤かった忠崇ですから、これこそまさに天職だったでしょうが、長年の苦労が祟ったのか、今度はチヱが身体を壊してしまいます。
妻との別れ「どうか、私のことは顧みず、徳川家のためご奉職下さいまし……」
「そうは行かぬ。苦しい時に支え続けてくれたそなたの献身を顧みねば、東照神君もお怒りになろうぞ」
かくして明治35年(1902年)に神官を辞職してチヱを介護するため帰郷した忠崇ですが、明治37年(1904年)闘病生活の末にチヱを喪います。