大名から農民に、お家再興まで苦難の連続…「最後の大名」林忠崇の人生が波乱万丈すぎ!【後編】 (6/10ページ)
苦節の末に御家再興を果たすも、妻と死別
「どうか……どうか林家をお見捨てなきよう!」
かつて忠崇の身柄を預かった本家の小笠原家の協力を得て活動を展開。
「「「今こそ、主君のお役に立つべし!」」」
何としてでも忠崇を華族(旧大名待遇)に列せしむるため、各地に散らばっていた旧臣たちが少しずつ力を合わせます。
「皆の者、忝(かたじけな)い……!」
篤い忠義に胸打たれながら、希望を持って生きていた忠崇は、明治19年(1886年)ごろに小島チヱ(こじま ちゑ)と結婚しました。
チヱは江戸時代末期の安政元年(1854年)、平民である小島弥作(やさく)の次女として誕生。旧臣の樋山省吾(ひやま しょうご)が紹介してくれたのです。
「つまらぬ女ではございまするが、きっとあなたの立身出世を見届けるべく、お側で支えて参ります」
「うむ。皆の思いに応えるべく、必ずや志を果たそうぞ!」
そして戊辰戦争から20年以上の歳月を経た明治26年(1893年)、ついに忠崇は従五位に叙せられ、華族の仲間入りを果たしました。