大名から農民に、お家再興まで苦難の連続…「最後の大名」林忠崇の人生が波乱万丈すぎ!【後編】 (3/10ページ)
「いかに徳川家のためとは言え、皆には申し訳ないことをした……」
結局、自由の身となったのは3年以上の歳月を経た明治5年(1872年)1月。さぁ、これからどうしよう……忠崇は旧領の請西に帰って、農民となることを決断します。
「いやいや……いくら何でもお立場がお立場にございますれば、もそっとマシな職業を……」
「いや、まずは帰って皆に謝らねばならぬ。地元に仕官のクチがない以上、帰農するよりあるまい」
かつて神君・徳川家康(いえやす)が人質にとられていた幼少期、その帰りを待つ忠臣たちは汗水流して野良仕事に励んだと言うではないか。
主君のために振るうなら、刀も鍬も同じこと……とまぁ、そんな思いで農業を始めたはいいものの、やはり素人がいきなり始めて上手くいくものでもありません。
「やはり『餅は餅屋』じゃのう……」
どうにもならないので明治6年(1873年)12月、東京府知事を務めていた大久保一翁(おおくぼ いちおう。旧幕閣)のつてで、東京府の役人に採用してもらいました。