大河ドラマ「青天を衝け」にも登場する大司法家! 近代司法の確立に尽力した初代大審院長・玉乃世履の生涯 (4/12ページ)
年が明けて慶応4(1868)年1月3日、鳥羽伏見の戦いが開戦。世履も新政府軍の一員として戦いに参加しています。
ここから戊辰戦争が始まりますが、世履は同月には国許の岩国に帰郷しています。
同年7月、世履は岩国藩を代表する立場とし公儀人(在外代表者)を拝命。京都に赴任して新政府との折衝に当たりました。
以降、世履は新政府の中でもポストを獲得していきます。
明治2(1869)年1月、最初に会津若松の民政担当を担当。2月には、新政府の会計官判事試補に任命されています。
同年5月には民部官判事試補、民部官聴訟司知事(民事の裁判官)に転じて、裁判官としての道を歩み始めました。
7月には聴訟権正となり、民部少丞を拝命。民部省のナンバー5という立場となります。
渋沢栄一との出会い
政府内においては、さまざまな出会いを経験しています。
明治3(1870)年、明治政府はフランス人の生糸技術者・ブリューナに富岡製糸場の立地選定を行わせています。
このときの政府側の責任者は、いずれも錚々たる面々でした。
民部省では世履とともに佐賀の大木喬任や旧幕臣の杉浦譲(愛蔵)が、大蔵省からは渋沢栄一が選ばれています。