大河ドラマ「青天を衝け」にも登場する大司法家! 近代司法の確立に尽力した初代大審院長・玉乃世履の生涯 (7/12ページ)
政府の諸君が自己の安逸を願って尊攘の志を捨て「時勢が変わった」というのである」
やむなく世履は彦斎の助命を諦めています。
明治の七難件を解決する
世履は政府内で司法官として活躍の場を広げていきます。
明治6(1873)年、世履は「明治の七難件」と呼ばれる案件を解決しています。
これは当時、イギリス商人が維新期に旧藩などと取引で生じた債権支払いを、新政府に求めた訴訟でした。
決着のつかない七案件は、まとめて仲裁手続きに付されます。
世履は日本側の仲裁委員となり、イギリス側の仲裁委員ハンネンと協力。
多数の証人尋問を集中的に実施するなどの審理を行い、9ヶ月と言う短期間で仲裁裁断を下しました。
結果、世履の名は政府だけでなく外国商社の間にも高まります。
ボアソナードと共に拷問禁止への働きかけを行う
明治8(1875)年4月、大審院(最高裁判所)が設置されました。
世履も裁判官の一人として、日本の近代司法の確立に向けて動いてえます。
このとき、政府の法律顧問であるフランス人法律家・ボアソナードが来日していました。
同月、ボアソナードは法学校の講義に行く途中で裁判所の中から悲鳴を聞いています。不審に思ったボアソナードが法廷に入ると、容疑者が石抱の拷問を加えられて尋問されていました。
ボアソナードは拷問をやめさせるように世履に哀訴。