大河ドラマ「青天を衝け」にも登場する大司法家! 近代司法の確立に尽力した初代大審院長・玉乃世履の生涯 (8/12ページ)
世履は司法卿・大木喬任に面会して抗議し、拷問廃止の理由書を提出に立ち会っています。
世履には、人の意見に耳を傾ける寛容さと司法への問題意識がありました。
以降も世履はボアソナードと関わり、のちにボアソナードの起草した治罪法の原案の審査委員を務めるなど、深く関わっています。
初代大審院長となる
5月、世履は三等判事を拝命。さらに同月には二等判事となり、同時に大審院長事務取扱(代理)となりました。
いわば事実上の最高裁判所長官の地位にあったわけです。
人事の裏には、長州閥の領袖・木戸孝允の存在がありました。
木戸は山田顕義への手紙で世履を引き上げるように要請しています。いずれは世履に大審院長を任せるつもりでいました。
実力は勿論ですが、世履は長州閥を背景に順調な出世を遂げていきます。
世履は裁判官として、より公的な場で活動していきました。
明治11(1878)年5月、東京で内務卿・大久保利通が石川県士族らに暗殺(紀尾井坂の変)。世履は裁判長として犯人らの裁きに関わります。
大久保は政府を主導する、当時の最高権力者でした。
裁判を取り仕切るのは、やはり裁判官として名実兼ね備えた世履以外にいなかったものと推察されます。
9月には、世履は正式に初代大審院長を拝命。日本の裁判所の最高位に立つこととなりました。