大河ドラマ「青天を衝け」にも登場する大司法家! 近代司法の確立に尽力した初代大審院長・玉乃世履の生涯 (10/12ページ)

Japaaan

福島県令・三島通庸に公儀した自由党員の県会議長・河野広中らが逮捕されています。

福島事件は大審院の審判に付され、世履が担当することとなりました。

福島県令の三島通庸は、薩摩藩出身の人物でした。

三島は藩閥出身に加えて、政府部内で河野らを厳罰に処すべく画策。当然、重い処分が下るかと誰もが思っていました。

しかし世履は、裁判長として公正な裁きを揺るがせません。

被告人らに弁論の時間を十分に与え、検事からの傍聴禁止要求を退けるなどしています。

明治16(1883)年、世履は河野弘中に判決として軽禁獄七年、他の者に同六年を言い渡しました。

河野広中

心身を病んで休職する

明治18(1885)年、世履は大審院を休職。熱海で転地療養をすることにしています。

吉岡達生氏によると、世履はうつ病を罹患していたようです。さらに持病の糖尿病も重なっていました。

うつ病発症の原因は、吉岡氏によると大審院長の職務における過労のようです。

世履は民事や刑事で難件を数多く担当。しかも自由民権運動などでは、明治政府の圧力をかわして公正な判断を下すという難しい対応を迫られました。

さらには、旧岩国藩からの批判に晒された可能性もあるようです。

旧藩主筋・吉川経健は男爵の爵位を獲得。しかし長州の他の支藩の旧藩主たちよりも下の爵位でした。

思う通りの結果が得られず、世履に批判が集中したという説です。

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