大河ドラマ「青天を衝け」にも登場する大司法家! 近代司法の確立に尽力した初代大審院長・玉乃世履の生涯 (5/12ページ)
世履は渋沢らとともに製糸場建設などをめぐってブリューナらと折衝することになりました。
以降、世履は渋沢と親交を結んでいます。
実際に尾高惇忠(初代富岡製糸場長。渋沢の義兄)は、世履の繋がりでのちに民部省に出仕しています。
渋沢栄一と先物取引を巡って激論を交わす
世履は政府内部において、様々な活動をしていました。
明治4(1871)年7月、明治政府は廃藩置県を断行。藩は消滅し、全国には県が置かれています。
同年11月には司法権大判事を拝命。このとき、渋沢栄一と政府内を二分する激論を繰り広げています。
当時、世履は先物取引の禁止を主張していました。
「空米取引であるから法律で禁止しなければならない」と言うのです。しかし渋沢は「商業であるから禁止すべきでない」と譲りません。
結局二人とも折れず、議論は平行線を辿りました。
しかし世履は柔軟性も持ち合わせていました。
のちにフランス人法律家・ボアソナードから間違いを指摘され、渋沢に謝罪しています。
過ちは認める、という素直さは世履の優れた人格をのぞかせます。