大河ドラマ「青天を衝け」にも登場する大司法家! 近代司法の確立に尽力した初代大審院長・玉乃世履の生涯 (2/12ページ)
世履の関わった人物は、梅田雲浜や頼三樹三郎、さらには吉田松陰といった錚々たる面々です。
岩国藩を代表する公儀人となる
世履自身は、当初は官学である朱子学を学んでいました。
しかしより実践的な陽明学に転じ、当時としてはいち早く洋学も学ぶなど柔軟な姿勢で学問に取り組んでいます。
柔軟な姿勢は、やがて岩国藩の外交にも影響を与えました。
当時の岩国藩は、宗家である長州藩と対立。決して両藩は一枚岩の関係ではありません。
そこで世履は、藩主・経幹に働きかけ、両藩の関係改善に向けて歩みを進めています。
時勢が討幕に傾くと、長州藩は新たな軍制改革を実施します。
大村益次郎の指揮のもと、長州藩内で諸隊が再編。支藩である岩国藩も同様に討幕に向けた軍制を採用しています。
その筆頭的存在が世履でした。世履は岩国藩の兵制の洋式化に取り組んでいます。
慶応2(1866)年、幕府は第二次長州征伐を決定。西国諸藩に動員令を出し、総勢十五万人以上という大軍を動かします。
まともに戦えば、長州藩や岩国藩も負けると誰もが思っていました。しかし両藩は、戦に先立ち十分な手を打っていたのです。
同年の初頭にはすでに薩長同盟が締結。長州藩は薩摩藩の協力のもと、最新鋭の銃器を揃えていました。