大河ドラマ「青天を衝け」にも登場する大司法家! 近代司法の確立に尽力した初代大審院長・玉乃世履の生涯 (6/12ページ)
るろうに剣心のモデル・河上彦斎の助命を試みる
明治4(1871)年12月、日本橋の小伝馬町牢屋敷で、人斬りとして名高い河上彦斎が斬首されました。
当時、河上には参議・広沢真臣(長州藩出身)の暗殺容疑がかかっていました。
しかし実際は広沢は別人に暗殺されたようです。あくまで河上を始末するために理由づけがなされただけでした。
世履は広沢事件の捜査にも関わっており、河上が無実だと感じていたようです。
河上は強硬な攘夷論者でした。
かつては長州藩に協力し、討幕運動にも従っています。
しかし明治維新後、新政府が開国政策に転じたことに激怒。三条実美や木戸孝允など要人に危険分子として警戒されるようになります。
木戸は欧米視察の前に世履に言いました。
「彦斎を放置すれば必ず、国家に害をなす」と断言。さらに「私が帰国するまでに始末しておけ」と命じていました。
しかし世履は、かつての同志である河上を断罪することに忍びなさを感じていました。
実際に世履は彦斎に面会して説得を試みています。
そこで世履は時勢が変わったことと、新政府への協力を要請。しかし彦斎は従いません。
彦斎は世履に心遣いへの謝意を示しつつ、新政府を糾弾します。
「時勢が一変したのではない。