実は子だくさん!汚れ役もいとわない愚直すぎる武将・梶原景時の息子たち・前編【鎌倉殿の13人】 (3/9ページ)

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景季の颯爽たる騎馬姿。勝川春英筆

ちなみに梶原氏は坂東平氏の一族(鎌倉党)であるため、通称は平太(平氏に属する家の長男)が妥当ですが、おそらく頼朝に気に入られて「源」太と改称したのでしょう。

俗説には「景時が頼朝に取り入るために変えさせた」とも言われますが、後に源氏一族の兄弟たちを粛清している通り、頼朝の許可なしに御家人が源氏を称することは考えにくいです。

ともあれ頼朝の信頼に応えるべく景季は忠勤に励み、寿永3年(1184年)1月には源義経(演:菅田将暉)に従って上洛。宇治川で木曽義仲(演:青木崇高)と戦った折、佐々木四郎高綱(演:見寺剛)と先陣争いをしたエピソードが有名です(宇治川の先陣争い)。

宇治川では先陣こそ逃したものの、平家討伐でも大活躍の景季。その武功によって後白河法皇(演:西田敏行)より左衛門尉(さゑもんのじょう)の官職を授かりますが、頼朝に無断で任官したことを叱られてしまいます。

(書状には御家人24名についてこれでもかと罵倒していますが、景季についてはただ名前が連ねられているのみ。

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