実は子だくさん!汚れ役もいとわない愚直すぎる武将・梶原景時の息子たち・前編【鎌倉殿の13人】 (6/9ページ)
「惡氣色して、もとより白者(しれもの)と御覧(ごろう)ぜしに、任官誠に見苦し」
【意訳】顔色が悪い(白い)ので頭の中身も白い=バカかと前から思っていたが、やっぱりバカだったか。バカめ!
……まぁ、そんな事もありましたが、文武両道に秀でた景高は奥州合戦でも歌の才能を発揮。頼朝はじめ一同を感心させました。
陸奥(みちのく)の 勢は御方に 津久毛橋(つくもはし) 渡して懸けん 泰衡が頸(くび)
【意訳】奥州の軍勢はここ津久毛橋のように、みんな頼朝様のお味方につくことでしょう。橋を渡して架けるように、泰衡の首級もかけて(梟首にして)やりましょう。
地名や掛詞を巧みに織り交ぜて、即興で歌を詠んでしまう機転に脱帽です(景高に限ったことではないものの、日ごろからこうした事に意識が及んでいたことが分かります)。
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そんな建久4年(1193年)5月16日、富士の巻狩りで頼朝の嫡男・源頼家(演:金子大地)が初めて鹿を射止める(※大河ドラマとは違い、実際にはちゃんと自力で射止めています)と、その喜びを鎌倉へ伝えに走りました。