実は子だくさん!汚れ役もいとわない愚直すぎる武将・梶原景時の息子たち・前編【鎌倉殿の13人】 (5/9ページ)
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もののふの とりつたへたる 梓弓……一ノ谷で奮戦する景高。『武家百人一首』より
もののふの とりつたへたる 梓弓 ひいては人の かえすものかは
【意訳】武士の引いた弓=放った矢が戻らないように、自分もまたここで退くわけにはいかないのです。
そう詠んで敵中へ殴り込んだ景高を放っておけず、景時らも後に従い、一度は引き上げてきました。
しかし人数を数えると景季がいない。家族愛の強い景時は必死になって再び敵中へ突入。孤軍奮闘していた景季(※目印に梅の枝を挿していたとか。美意識も高かった模様)を救出して全員無事に引き上げることが出来たのです。
これを「梶原の二度駆け」と言い、梶原一族の団結力を示すエピソードとして現代に伝わっています。
平家討伐の武功によって景高は兵衛尉(ひょうゑのじょう)に任じられましたが、こちらは兄・景季とは違って頼朝から容赦ないお怒りコメントが浴びせられます。