「鎌倉殿の13人」公式記録『吾妻鏡』から実朝暗殺と公暁の末路をたどる。第45回放送「八幡宮の石段」予習 (6/10ページ)
仲章朝臣申云。昇大臣大將之人未有其式云々。仍被止之。又公氏候御鬢之處。自抜御鬢一筋。稱記念賜之。次覽庭梅。詠禁忌和歌給。
出テイナハ主ナキ宿ト成ヌトモ軒端ノ梅ヨ春ヲワスルナ
次御出南門之時。靈鳩頻鳴囀。自車下給之刻被突折雄劔云々。又今夜中可糺彈阿闍梨群黨之旨。自二位家被仰下。信濃國住人中野太郎助能生虜少輔阿闍梨勝圓。具參右京兆御亭。是爲彼受法師也云云。
※『吾妻鏡』建保7年(1219年)1月27日条
そもそも今日の勝事(しょうじ。不祥事)については、事前から数々の異変が記録されています。
「……どうした入道よ、何ゆえ泣いておる?」
せっかくのハレ舞台というのに、泣いているのは大江広元(演:栗原英雄、前大膳大夫入道)。この時は出家して覚阿(かくあ)と号していました(以後、広元で統一)。
「拙僧は成人してより数十年、およそ泣いたことがございませぬ。しかし今、鎌倉殿のお傍に近づくと涙が止まらなくなってしまったのです」
それが感激の涙か否か、広元は実朝に進言します。
「かつて右大将家(亡き源頼朝)は東大寺供養に臨み、用心として束帯(そくたい。正装)の下に腹巻(鎧)を着こまれました。どうか此度もそのように……」
すると側にいた仲章がこれを拒否しました。「これまで大臣・大将に昇った方がそのようになされた前例がない」との事で腹巻の着用は取りやめに。
(大河ドラマでは泰時が腹巻を勧め、断ったのは実朝自身でしたね。