「鎌倉殿の13人」公式記録『吾妻鏡』から実朝暗殺と公暁の末路をたどる。第45回放送「八幡宮の石段」予習 (9/10ページ)

Japaaan

※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月8日条

1月27日の暗殺当日、義時が建立した大倉薬師堂(現:覚園寺)では義時の守護神である戌神(跋折羅大将)像が姿を消していたそうです。もしかして、義時を災厄から遠ざけるため白い犬に化けたのかも知れませんね。

コラそこ、「仲章ざまぁ」とか言ってはいけません。あの憎たらしい仲章は大河ドラマの創作と生田斗真の絶妙な演技の賜物であり、史実の仲章は(朝廷と通じていたとは言え)あくまで実朝の教育係。少なくとも『吾妻鏡』に義時との政争・暗闘は描かれていません。

「尼将軍」政子の誕生

命拾いした義時ですが、にわかに鎌倉殿を喪った鎌倉は大混乱。とりあえず実朝の葬儀を執り行おうとしたものの、どうしても首級が見つかりません。

仏教の思想では五体満足な状態でないと成仏できないとされるため、困ったことになりました。なのでとりあえず、公氏が授かっていた実朝の遺髪を一本、これを頭の代わりに納棺したということです。

……戌剋。將軍家奉葬于勝長壽院之傍。去夜不知御首在所。五體不具。依可有其憚。以昨日所給公氏之御鬢。用御頭。奉入棺云云。

※『吾妻鏡』建保7年(1219年)1月28日条

実朝の菩提を弔うため千世(演:加藤小夏。坊門姫)は出家。さらに大江親広(おおえ ちかひろ。広元の長男)・長井時広(ながい ときひろ。広元の次男)・中原季時(なかはら すえとき。中原親能の子)・安達景盛(演:新名基浩)・二階堂行村(にかいどう ゆきむら。行政の子)・加藤景廉(かとう かげかど)ら百余りの御家人も続いて出家しました。

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