「鎌倉殿の13人」尼将軍・政子の伝説が幕開け!第46回放送「将軍になった女」予習 (5/11ページ)
阿野自殺之由申之。
※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月23日条
かくして時代の徒花と散っていった時元。果たして、謀叛をそそのかした母の実衣(演:宮澤エマ)がどうなるのか、楽しみですね。
どうする義時……地頭改補の院宣話を戻して3月8日、後鳥羽上皇の使者として藤原忠綱(ふじわらの ただつな)が鎌倉へやってきました。
内藏頭忠綱朝臣爲上皇御使下向。
※『吾妻鏡』建保7年(1219年)3月8日条
「これは内蔵頭(くらのかみ)殿。ようこそ、地の果て鎌倉へ……」
翌3月9日、使者を出迎えたのは尼御台・政子。用件は実朝暗殺に対するお悔やみです。
仙洞御使忠綱朝臣參禪定二品御亭〔右府御舊跡〕。右府薨御事。叡慮殊御歎息之由。依被仰下也。次謁申于右京兆。是攝津國長江倉橋兩庄地頭職可被改補事已下 院宣條々也。
※『吾妻鏡』建保7年(1219年)3月9日条
「右大臣(右府=実朝)閣下が薨御(こうぎょ。貴人が亡くなること)あそばされたこと、上皇陛下はこと御嘆息にございます(右府薨御事。叡慮殊御歎息之由)……」
まぁ、そりゃそう言うだろうな。という社交辞令。しかし本題はここからでした。
「しからば、右京兆(義時)殿にもご挨拶を……」
「……ご用件は」
ところ変わって義時の館。忠綱は本題を切り出します。
「摂津国の長江荘・倉橋荘(どちらも現:大阪府豊中市か)。以上二カ所につき、地頭を改補(かいぶ)せよとの院宣にございまする」
当地の地頭は義時であり、改補とは文字通り「補し改める」要するに「現職を更迭(クビに)せよ」という命令です。