「鎌倉殿の13人」尼将軍・政子の伝説が幕開け!第46回放送「将軍になった女」予習 (8/11ページ)

Japaaan

※『吾妻鏡』建保7年(1219年)3月15日条

上洛するトキューサたち(イメージ)

そして伝えた返事がこちら。

……是幕下將軍時募勳功賞定補之輩。無指雜怠而難改由申之。仍逆鱗甚故也云々……

※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月19日条
※後日の回想なので、日付は先のもの。

「地頭職については、かつて頼朝公からいただいた恩賞ですから、これと言った罪もなくクビになど出来ません」

後鳥羽上皇がこれを聞いて怒らぬはずがありません。不敬にも朝廷と鎌倉を天秤にかけたばかりか、亡き鎌倉殿の遺志を優先するというのですから。

「それが鎌倉の答えか!」

……しかし「よろしい、ならば戦争だ」と兵を挙げるには、まだ武力が不足しています。時房率いる精鋭一千騎に恐れをなしたか、後鳥羽上皇もちょっとだけ譲歩しました。

「皇子は出せないが、然るべき公家の子なら鎌倉殿に認めよう」

そこで白羽の矢が立ったのは三寅(みとら)、後の第4代鎌倉殿・藤原頼経(ふじわらの よりつね)です。

何とかつないだ源氏の血筋……三寅の鎌倉下向

……二歳ナル若公。祖父公経ノ大納言ガモトニ養ヒケルハ。正月寅月ノ寅ノ歳寅時ウマレテ。

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