「鎌倉殿の13人」尼将軍・政子の伝説が幕開け!第46回放送「将軍になった女」予習 (3/11ページ)

Japaaan

※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月29日条

更に2月29日、大江親広(おおえ ちかひろ。大江広元の子)の軍勢を京都へ派遣。色んな意味で心強いですね。

信濃前司行光使者參着。彼宮御下向事。今月一日達天聽。於仙洞有其沙汰。兩所中一所。必可令下向給。但非當時事之由。同四日被仰下。此上可歸參歟之由申之云々。

※『吾妻鏡』建保7年(1219年)閏2月12日条

伊賀光季と大江親広がしっかり京都を警護してくれたお陰か、朝廷からの返事も早くいただけたのでしょうか。

閏2月12日、二階堂行光が鎌倉へ帰ってきました。

「閏2月1日にお願いが届きました。して4日に『よかろう。六条宮か冷泉宮のどちらかを必ず遣わそう。ただし今すぐにではない』とのお返事をいただきました」

いつかきっとその内に……守る気がない約束の決まり文句。とは言え、親王殿下をお迎えしたい鎌倉当局としては「じゃあもういいです」とも言えません。

目の前にぶら下げられたエサにイライラしていたところ、京都から使者がやってきました。が、一旦ここで話を切ります。

鎌倉殿の夢、潰えたり……阿野時元の謀叛

鎌倉でそんな話しが進んで(足踏みして?)いる中、駿河国阿野荘(現:静岡県沼津市)では阿野時元(演:森優作)が「鎌倉殿に、俺はなる!」とばかり謀叛を起こしました。

未剋。二品御帳臺内。鳥飛入。申剋。駿河國飛脚參申云。阿野冠者時元〔法橋全成子。母遠江守時政女〕去十一日引率多勢。搆城郭於深山。是申賜宣旨。可管領東國之由。相企云云。

※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月15日条

「きゃっ!?」

2月15日の午後2:00ごろ(未刻)、政子(二品-にほん。ここでは従二位のこと)の寝所に鳥が舞い込む珍事(たぶん凶兆)が発生。午後4:00ごろ(申刻)になって今度は使者が舞い込みます。

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