【最終回】「鎌倉殿の13人」行け!俺たちの泰時… 第48回放送「報いの時」予習 (4/12ページ)
喧嘩は先手必勝、安保実光(あぼ さねみつ)ら武蔵の軍勢が到着次第、すぐに太郎(泰時)を行かせなさい!」
ちなみに安保実光は泰時の義祖父(後妻の祖父)に当たり、泰時が治めていた武蔵国の代官を務めていたようです。
このほか遠江国・伊豆国・甲斐国・相模国・武蔵国・安房国・上総国・下総国・常陸国・信濃国・上野国・下野国・陸奥国・出羽国……ざっくり言えば関東甲信および東北地方の各国に軍勢の動員をかけました。
一人でも行け!三善康信かく語りきさて、東日本の各地に軍勢を動員したものの、まだ兵は集まりません。そりゃそうです。使者を発してからまだ2日、メールやLINEもない当時、命令書が届いてすらいないところが大半でしょう。
……今日。天下重事等重評議。離住所。向官軍。無左右上洛。如何可有思惟歟之由。有異議之故也。前大膳大夫入道云。上洛定後。依隔日。已又異議出來。令待武藏國軍勢之條。猶僻案也。於累日時者。雖武藏國衆漸廻案。定可有變心也。只今夜中。武州雖一身。被揚鞭者。東士悉可如雲之從竜者。京兆殊甘心。但大夫属入道善信爲宿老。此程老病危急之間籠居。二品招之示合。善信云。關東安否。此時至極訖。擬廻群議者。凡慮之所覃。而發遣軍兵於京都事。尤遮幾之處。經日數之條。頗可謂懈緩。大將軍一人者先可被進發歟者。京兆云。兩議一揆。何非冥助乎。早可進發之由。示付武州。仍武州今夜門出。宿于藤澤左衛門尉淸親稻瀬河宅云々。
※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月21日条
「いつになったら出陣するのだ!」
ここにきて、広元がキレました。決して歳をとって気が短くなったからだけではないはずです。
「上洛すると決めたのだから、さっさと行け。ダラダラしているせいで、決意の鈍るヤツが出始めておるぞ。武蔵国の軍勢など待っているんじゃない。武州(泰時)殿一人でも出陣すれば、軍勢など雲が龍に従うごとく集まってくるものだ」
総大将たるもの、部下の事情や顔色などうかがうな。自分がどこへ行こうと部下がついてくるように振る舞わねばなりません。