【最終回】「鎌倉殿の13人」行け!俺たちの泰時… 第48回放送「報いの時」予習 (10/12ページ)
もはや勝算も大義名分も失い、それぞれの最期を遂げようと離散していきました。
「さて、鎌倉の連中を鎮めねばならぬ」
明けて6月15日、泰時の元へ後鳥羽上皇からの院宣が届きます。
勅使「院宣である」
泰時「誰か、読める者はおらぬか?」
日常会話ならともかく、格式の高い文書に慣れていない東国武士たちは戸惑いました。
「そうだ、武蔵国の藤田殿なら読めるはず。アイツは文博士(ふみはかせ。ここではインテリ程度の意)だからな」
指名された藤田能国(ふじた よしくに)は院宣を読み上げる大役を果たします。
院宣は「今回の件は、叡慮(えいりょ。ここでは後鳥羽上皇の意思)によらず、愚かな近臣らの暴走である。よってそなたたちが望む通り命令を下そう。また京都洛中の治安維持を任せる(意訳)」とのこと。
ここに完全勝利が確定した泰時は、午前10:00ごろに六波羅入り。藤原秀康は逃亡し、三浦胤義は東寺に立て籠もって戦った後、西山の木嶋(現:木嶋坐天照御魂神社。京都市右京区)で自害しました。
京都洛中は大混乱に陥り、これで85代にわたり続いてきた皇室もこれでおしまいだ……そう嘆かぬ者はなかったと言います。