「どうする家康」上洛なんかしている場合か!?第13回放送「家康、都へゆく」振り返り (2/9ページ)

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※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年-元亀元年「元亀元年家康移于浜松城」

この時期、家康は正月に本拠地を三河の岡崎城から武田領に近い遠江の浜松城(旧:引間城)へと移しました。その目的はもちろん信玄と対決するため、そして平定して間もない遠江の支配を安定させるためです。

瀬名は岡崎の築山殿に残った様子(イメージ)

岡崎城は嫡男の徳川信康(演:寺島眞秀。当時12歳)に譲り、三河・遠江両国の支配体制を強化していました。

……ことし彌生信長越前の朝倉左衛門督義景をうたんと軍だちせられ。又援兵を望まれしかば。君にも遠江三河の勢一萬餘騎にて。卯月廿五日敦賀といふところにつき給ふ。……

※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年-元亀元年「信長討朝倉義景」

この直後となる3月、信長が越前の朝倉義景(あさくら よしかげ)を討つため兵を起こしており、家康は一万の兵をもって加勢しています。

この辺りの流れを時系列でまとめておきましょう。

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