「どうする家康」上洛なんかしている場合か!?第13回放送「家康、都へゆく」振り返り (4/9ページ)
ちなみ劇中では既に元服していた竹千代ですが、『徳川実紀』によれば信康の元服は元亀2年(1571年)8月28日。このように記述されています。
……この八月廿八日若君十三にて首服を加へたまひ。信長一字を進らせ次郎三郎信康となのらせたまふ。……
※『東照宮御実紀』巻二 元亀元年―同三年「信康元服」より
なお、竹千代と五徳姫の婚礼は少し遡って永禄10年(1567年)、『徳川実紀』ではこんな感じでした。
……十年信長の息女御入奥ありて信康君御婚禮行はる。……
※『東照宮御実紀』巻二 永禄七年-同十一年「永禄九年家康叙爵任三河守尋兼左京大夫」より
徳川と織田の両家にとってますます絆が深まるように結ばれた二人。築山殿事件によって家康は妻子と同盟のどちらを選ぶか迫られますが、最終的には織田との同盟を選びます。
泣く泣く瀬名(演:有村架純。築山殿)と信康を処刑することになる家康。本作の上でも「これがターニングポイントになるのではないか」と多くの視聴者が予想しているようです。
ただひたすら妻子ばかりが大事だった家康が、冷徹非情な政治家へ生まれ変わる名場面に、今から期待が寄せられます。
武士としても有能だった茶屋四郎次郎京都で家康と出会った呉服商の茶屋四郎次郎。本作の設定では三河で松平家に仕えていたが、武士としての素質がないから商売を始めた……とされています。