「どうする家康」上洛なんかしている場合か!?第13回放送「家康、都へゆく」振り返り (3/9ページ)
永禄13年(1570年)
1月 家康が本拠地を岡崎城から浜松城へ移転
3月 信長が朝倉義景を討つため兵を起こす、家康は一万の兵で加勢
4月25日 家康が越前国敦賀(福井県敦賀市)へ到着
いまだ人心定まらぬ遠江国を治めるために四苦八苦しており、また信長の無茶ぶりに応えて一万の軍勢を揃えた家康。
とてもではありませんが、上洛なんてしている場合ではないのです(京都と三河・遠江の往復はもちろん、軍勢だって一朝一夕では揃いません)。もちろん現時点までに信玄はしばしば侵略の魔手を伸ばしています。
ちなみに、足利義昭が各地の大名に臣従を誓わせるため上洛を命じたというのもフィクションです。
劇中のように「上洛の命令に従わなかったから討伐する」なんて言っていたら、ほぼ全国すべての大名たちを片っ端から倒して行かねばなりませんからね(この時点の信長に、そこまでの力はありません)。
築山殿事件の伏線?幼い信康・五徳夫婦のかわいい喧嘩まんじゅうをめぐって喧嘩をしていた信康と五徳姫(演:松岡夏輝)。何か気に入らないことがあると「実家の父=信長に言いつける」と家康を脅しているようです。
これが後に起こる築山殿事件(五徳が築山殿と信康の謀叛を密告、それが元で両名が処刑される)の伏線となるのでしょう。