「どうする家康」猿に続いて、白兎まで女狐の毒牙に!?第38回放送「唐入り」振り返り (8/11ページ)

Japaaan

足利義昭、あらため昌山道休のこと

京都追放後も、しぶとく将軍であり続けた足利義昭(画像:Wikipedia)

京都を追放されて以来、久しぶりに登場した室町幕府の第15代将軍・足利義昭(古田新太)。今は出家して昌山道休と号しています。

元亀4年(1573年。天正元年)7月18日に槇島城で織田信長に降伏・追放されてからの動きをざっくりおさらいしましょう。

槇島城から摂津の若江城に移された義昭は7月24日付で中国地方の覇者たる毛利輝元(吹越満)らに幕府再興の支援を要請しました。本当に懲りないひとですね。

他にも石山本願寺や上杉謙信などに援助を求め、また大名間の争いについて和睦を仲介するなど、なおも将軍然と振る舞います。

実際に義昭は天正16年(1588年)まで征夷大将軍の座にあり、天正4年(1576年)には備後国鞆(とも。広島県福山市)に亡命政権を樹立しました。これを鞆幕府と解釈する説もあるようです。

鞆の地はかつて初代室町将軍・足利尊氏が再起を図った場所であり、実際に義昭も天正15年(1587年)に京都への帰還を果たしました。本当に悪運の強いひとですね。

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