政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【中編】 (11/13ページ)

Japaaan

大坂城炎上 1663年絵図 ニューヨーク公共図書館出典 wikipedia

この局面で、大野治長は千姫を脱出させ、自身らが切腹する代わりに秀頼と淀殿の助命を嘆願しようとします。治長にとって、豊臣家滅亡を防ぐ最後の切り札は千姫でした。

よく知られた逸話として、追い詰められた淀殿が千姫を徳川方へ逃がさないよう、千姫の着物の袖を膝の下に敷いて離さなかったとされますが、これはおそらく事実ではありません。

実際には、千姫は夫・秀頼と離れることを望まなかったものの、秀頼の命を救う唯一の手段は自分にあると覚悟し、葛藤を抱えながらも父・秀忠の本陣に向かったのでしょう。

『徳川実紀』によると、秀頼母子の助命を家康と秀忠に請うため大坂城を出た千姫一行は、徳川方の坂崎直盛の軍勢に出会います。直盛は千姫を無事に家康の本陣がある茶臼山へ送り届けました。

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