政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【中編】 (12/13ページ)

Japaaan

坂崎直盛像(個人蔵)wikipedia

家康に対し、千姫は必死に秀頼・淀殿の助命を訴えたと思われます。このとき家康は、孫娘に対し、「将軍(秀忠)の意向に委ねる」と答えました。

しかし、秀忠は秀頼と淀殿の助命嘆願を拒絶します。さらに、娘の千姫に対し、秀頼とともに自害しなかったことを非難し、「女子とはいえ、秀頼とともに焼死すべきであったのに、城を出たのは見苦しい」とまで言い放ったと伝わります。

そして5月8日、秀頼と淀殿は山里丸の蔵にて自害し、大坂夏の陣は終結。豊臣氏は滅亡しました。夫の助命を願っていた千姫にとって、この結末は断腸の思いだったでしょう。

それでも千姫は、豊臣家のために最後の尽力を見せます。秀頼と側室の間に生まれた娘(後の天秀尼)が処刑されそうになると、身を挺して助命を嘆願し、養女として仏門に入れることを条件にその命を救いました。

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