政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【中編】 (13/13ページ)

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天秀尼像(東慶寺蔵)wikipedia

千姫には深窓の姫君というイメージが付きまといますが、穏和な性格の一方で、このような強い意志を持つ女性であったのです。

この直後、家康は千姫の侍女・ちょぼに宛てて、心労で病に伏した千姫を気遣う手紙を書き、江戸へ下向する際にぜひとも千姫に面会したいと記しています。

徳川家のためとはいえ、政略結婚により愛する孫娘に多大な心労を強いた家康は、深い悔恨と申し訳なさを感じていたのでしょう。一方、千姫も複雑な思いを抱きつつも、祖父を憎むことはなかったのではないでしょうか。

それでは[中編]はここまで。[後編]では、大坂の陣後の千姫の生涯についてお話ししましょう。

※参考文献:福田千鶴著 『豊臣秀頼』 吉川弘文館

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