政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【中編】 (13/13ページ)
千姫には深窓の姫君というイメージが付きまといますが、穏和な性格の一方で、このような強い意志を持つ女性であったのです。
この直後、家康は千姫の侍女・ちょぼに宛てて、心労で病に伏した千姫を気遣う手紙を書き、江戸へ下向する際にぜひとも千姫に面会したいと記しています。
徳川家のためとはいえ、政略結婚により愛する孫娘に多大な心労を強いた家康は、深い悔恨と申し訳なさを感じていたのでしょう。一方、千姫も複雑な思いを抱きつつも、祖父を憎むことはなかったのではないでしょうか。
それでは[中編]はここまで。[後編]では、大坂の陣後の千姫の生涯についてお話ししましょう。
※参考文献:福田千鶴著 『豊臣秀頼』 吉川弘文館
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