日本最古の悲恋!十市皇女と高市皇子の純愛をさまざまな角度から考察〜幼馴染みから政治の犠牲に【後編】 (2/11ページ)

Japaaan

比賣神社(撮影:高野晃彰)

記事の冒頭でも触れたように、十市皇女の墳墓として有力視されているのが、新薬師寺に隣接する比賣神社です。ここにはもともと「比賣塚」と呼ばれる古墳があり、地元では高貴な姫君の墓であるという伝承が残っていました。

また、『日本書紀』に十市皇女が埋葬された地とされる「赤穂」の候補地として近隣の赤穂神社が挙げられることからも、「比賣塚」が十市皇女の墓所である可能性が高いとされ、1981年(昭和56年)、地元住民の尽力によって比賣神社が創建されたのです。

南都鏡神社(撮影:高野晃彰)

比賣神社は、新薬師寺の鎮守社である南都鏡神社(なんとかがみじんじゃ)の摂社とされています。同神社の祭神は藤原広嗣ですが、十市皇女の母・額田王の父は、宣化天皇系の皇族・鏡王(かがみのおお)であるため、ここに何らかの関係性があるのではと興味を惹かれます。

「日本最古の悲恋!十市皇女と高市皇子の純愛をさまざまな角度から考察〜幼馴染みから政治の犠牲に【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、高市皇子文武天皇尼子娘十市皇女天武天皇カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る