日本最古の悲恋!十市皇女と高市皇子の純愛をさまざまな角度から考察〜幼馴染みから政治の犠牲に【後編】 (3/11ページ)

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このほか、奈良県広瀬郡(現・奈良県北葛城郡広陵町)に「赤部(あかべ)」という地名があり、この周辺に十市皇女の墓があるとする説も存在します。

天武持統合葬陵(撮影:高野晃彰)

また、彼女の父である天武天皇の陵墓・野口王墓から、高松塚古墳やキトラ古墳、さらにその西に広がるマルコ山古墳や束明神古墳までを含む檜隈(ひのくま)には、大内・安古(おおうち・あこ)と呼ばれる一帯があり、ここを天武系皇族の墳墓地とする見解があり、この地に十市皇女の墓があると推定する説も注目されています。

檜前の風景(撮影:高野晃彰)

檜前は、古来より渡来人である東漢氏(やまとのあやうじ)の本拠地であり、おそらく大化の改新以降には、大王家の墓域、いわゆる「聖なるライン(ゾーン)」となりました。したがって、天武天皇の長女である十市の墓がこの地にあったとしても、何ら不思議ではありません。

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