徳川家康を二度破った知将・真田昌幸 豊臣秀吉が“表裏比興の者”と称した男の最期【後編】 (4/12ページ)

Japaaan

北条氏政像「小田原城所蔵」(Wikipedia)

この戦いは「小田原の役」「小田原征伐」と呼ばれるが、その発端の一つは北条氏と真田氏の所領をめぐる争いであった。

かねてより上野国の領有をめぐっては昌幸と北条氏政が対立していた。これをみた秀吉はその仲裁を行ったが、突如として北条方が真田方の名胡桃城を奪取。これに激怒した秀吉が、ついに北条征伐を決定するに至ったのである。

小田原の役の発端となった名胡桃城(撮影:高野晃彰)

秀吉は、総勢23万におよぶ大軍を水陸両面から北条氏の本拠・小田原へと進軍させた。

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