徳川家康を二度破った知将・真田昌幸 豊臣秀吉が“表裏比興の者”と称した男の最期【後編】 (9/12ページ)

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上田城大手門(上田市観光協会)

真田軍を小勢と侮った徳川軍は、一気に押し潰そうと上田城三の丸へ突入。しかし、防御を強化して複雑に縄張りされた三の丸に兵があふれ大混乱をきたし、やがてそのまま二の丸へと押し込まれるような戦況となった。

上田城二の丸空堀(撮影:高野晃彰)

そこに大手門を開いた信繁隊が突出し、同時に各砦から伏兵が徳川軍に襲い掛かった。この攻撃に徳川軍はたまらず城下から退却。しかし神川を渡ろうとしているところに、堰止めしていた水を一気に流されたために「我軍大いに敗れ、死傷算なし」という惨状をきたしてしまった。

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