朝ドラ『風、薫る』フユの夫・永田康介(じろう)への看護訪問は重要な伏線?日本初「看病婦」は戊辰戦争で誕生した (7/11ページ)

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また、続きを要約すると、

〜慶応4年(1868)1月3日、日本史上最大の内戦である戊辰戦争が始まり、土佐藩は出兵に際し600 名のうち病院組織として医師10名、衛生兵30名を出した。壬生城(現在の栃木県下都賀郡壬生町)での土佐藩の兵員は230名程度で医師5名衛生兵0 名。

4月に「銃創看病人として此地の婦人九人雇入養生局に差置ける」(弘田親厚著『慶応四戊辰 会津征討日記 弐の巻』)〜

とあり、「傷病兵の看護のため女性を9人雇用した」と記録にあるそう。

このことは、当時の横浜大病院が女性看病婦を雇用したよりも約1ヶ月早いために日本初の「女性看病婦」の誕生とされているそうです。

(逆に、慶応4年4月に横浜軍陣病院が開設。英国軍医のウイルスが主任となり看護のため女性を雇い入れて傷病兵を看護したのが「日本初の職業としての看病婦」誕生とする説もあります)

戦いで多くの傷病兵が出たこと、医師や衛生兵の不足、戦いで男性が徴用されていたことなどが重なり、女性を募集することになったようです。このとき、報酬をもらって看病にあたった看病婦は、農民や町民の子女である可能性が高かったとか。

けれども、これは戊辰戦争における一時的なもので、未訓練で何も知識も学んでいない看病婦から看護婦の誕生に結びつくことはありませんでした。

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