朝ドラ『風、薫る』フユの夫・永田康介(じろう)への看護訪問は重要な伏線?日本初「看病婦」は戊辰戦争で誕生した (8/11ページ)
『戊辰戦記絵巻(前篇)』における鳥羽・伏見の戦いの様相 wiki
セイは軍陣病院勤務でスキルを磨いたのかドラマの原案となっている伝記によると、慶応4年(1868)4月に横浜軍陣病院が開設したときにセイは看病婦になったようですが、「それから20年にわたり働いてきた」「60歳を超えて目前に引退を控えた頃に大関和(一ノ瀬りんのモデル)ら看護婦見習いたちと出会った」そう。
これは勝手な想像ですが、もしかしたらセイは、横浜軍陣病院に勤め始めた新人時代からいきなり重傷をおった兵の手術介助を求められたのかもしれません。
そのため、「周囲の状況を冷静に観察して先を見越して行動する」というオペ看に必須の能力を鍛えられたのかも。
ドラマでも、フユは脚に柵が刺さった患者の手術時、顔色ひとつ変えずにスムーズに器械出しをしていましたね。
大関和が看護婦見習いだった明治21年(1888)頃に、セイは引退間近の60歳頃でキャリア20年ということは、1868年の働き始めは40歳くらいだったのでしょうか。
その前にすでに夫と結婚していたのか、夫とは患者として出会いその後亡くなったのか、想像の域を超えることはできません。
いずれにしても、横浜軍陣病院が「日本初の看病婦」を雇用した病院で、もしかしたらその一人だった吉村セイが引退する際、「日本初の看護婦」大関和にスキルを伝授した……のかと想像すると、感慨深いですね。