朝ドラ『風、薫る』フユの夫・永田康介(じろう)への看護訪問は重要な伏線?日本初「看病婦」は戊辰戦争で誕生した (9/11ページ)

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右より二人目が大関和(1888年10月26日の卒業記念のものと推定)wiki

鈴木雅が設立した「派出看護婦会」への布石か

大家直美のモデル、鈴木雅を語る上で欠かせないのが『派出看護婦会』の創設です。

明治24年(1891)東大病院で内科看病婦取締を務めていた鈴木雅が病院を退職し、始めたのが「慈善看護婦会」です。(『国史大辞典』によると、これが日本最初の派出看護婦会だそう)

派出看護婦とは、患者の家庭に出向いて看護にあたる看護婦のことで、現在の在宅看護に通じる仕組みですがこの当時はかなり画期的でした。

雅は「看護婦という職業の存在を広く知ってもらうため」貧困層の人々には無料で看護婦を派遣。明治29年(1896)には、大関和が派出看護婦会の会長となりました。

今回、直美が躊躇なくフユの夫・康介の訪問看護を引き受けた場面、トレインドナースの制服のままりんと看護に出向いた場面は、この将来の布石なのかもしれませんね。

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