朝ドラ『風、薫る』遊郭通いしながら廃娼運動の矛盾…シマケン(佐野晶哉)のモデルとされる木下尚江の生涯 (3/10ページ)
明治10年(1877)、まだ8歳のときに自由民権運動が始まり、祖母に連れられ演説会を聞いていたそうです。
その後、明治19年(1886)に東京の英吉利法律学校に入学後、英国憲法の講座がなかったため東京専門学校に転校、明治21年(1888)に卒業しました。
大関和や大家直美のモデル鈴木雅(上坂樹里)の両者が、看護婦養成所を卒業、帝大医科大学第一病院(現在の東大秒院)に配属になった年ですね。
※啓蒙主義:聖書や神学といった従来の権威を離れ合理的な改革を行おうとする考え
旧開智学校校舎外観(長野県松本市開智、2026年〈令和8年〉5月)wiki
社会活動家で記者でもあった木村尚江卒業後、木下尚江は、地元のローカル紙『信陽日報』の記者・社会運動家・弁護士などとして活動。「新鋭木下尚江入りて紙面更新、一段の生気を放てる」(松本市史)と評されるも、抵抗勢力にあい「信陽日報」は廃刊となってしまいました。
その頃、尚江はキリスト教に出合い、廃娼運動、禁酒運動などに専念し積極的に活動。『信府日報』の主筆も務めるようになります。
明治30年(1897)選挙疑獄事件の容疑で警察に捕まり、重禁錮8か月・罰金10円・監視6ヶ月の判決を受け東京に護送され鍛冶橋監獄に収容後、無罪判決となって出所。