朝ドラ『風、薫る』遊郭通いしながら廃娼運動の矛盾…シマケン(佐野晶哉)のモデルとされる木下尚江の生涯 (4/10ページ)

Japaaan

2年後、毎日新聞に入り廃娼運動・足尾銅山鉱毒問題・普通選挙期成運動などに取り組みました。

※廃娼運動について:

朝ドラ「風、薫る」女郎を地獄から救いたい…夕凪を救うため、りん(見上愛)が出会う明治の『廃娼運動』とは?

明治34年(1901)、幸徳秋水らの社会民主党の結成に参加。その後、毎日新聞で、キリスト教社会主義の立場から非戦論を盛り込んだ小説『火の柱』を連載し、ペンを武器に戦いました。

けれども、明治39年(1906)、母親の死をきっかけに社会主義から離れ人間主義の著作活動を行うように。昭和12年(1937)胃がんにより東京の自宅で死去しました。晩年はひたすら坐し経を写し思索する日々を送っていたそうです。

大関和と木下尚江が出会ったのは、明治24年(1891)頃

和は帝大第一病院を辞めて、越後高田の女学校寄宿舎の舎監として赴任した頃でした。

ドラマと同様、和は帝大第一病院で心中未遂した遊女に出会い「遊郭を出た女性が安心して暮らせる場所と自立できる職業を」という思いをずっと胸に秘めていました。

「朝ドラ『風、薫る』遊郭通いしながら廃娼運動の矛盾…シマケン(佐野晶哉)のモデルとされる木下尚江の生涯」のページです。デイリーニュースオンラインは、島田健次郎廃娼運動鄭永慶木下尚江風、薫るカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る