『豊臣兄弟!』本能寺の変は「怨恨」だけではない!光秀を謀反へ走らせた家康共謀説・四国説・武田内通説 (12/13ページ)
また、光秀の子孫である歴史作家・明智憲三郎氏は、信長が天下統一を成し遂げた後に、唐入り(明の征服)を企んでいたとし、太平の世を望む光秀がそれを阻止するために「本能寺の変」を起こしたとする説を提唱しました。
この説によると、武田氏滅亡後に東日本に勢力を拡大する徳川氏を脅威に感じた信長が、光秀に家康殺害を命じるものの、かねてから誼を通じていた家康と共謀して信長を討ったというものです。
本能寺で炎に包まれる信長。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
しかしながら、この説を裏付けるような一次資料は存在しません。ただ、古くから光秀と家康の関係は良好であったともいわれており、それが「本能寺の変」における「光秀・家康共謀説」へとつながっていったことも考えられます。
いかがでしたでしょうか。本稿で取り上げた説はいずれも決定的な証拠があるわけではなく、やはり「本能寺の変」の真相は不明と言わざるを得ません。
だからこそ新たな史料や研究成果が現れるたびに、活発な議論が行われるのです。