『豊臣兄弟!』本能寺の変は「怨恨」だけではない!光秀を謀反へ走らせた家康共謀説・四国説・武田内通説 (9/13ページ)
それについて筆者は、信玄に招かれて恵林寺の住持を務めていた名僧・快川紹喜(かいせんじょうき)との関係を考えます。
光秀の出自には多くの謎がありますが、美濃明智氏の出であり、斎藤道三に仕えていたという説が有力です。紹喜はそもそも美濃崇福寺の住持で斎藤氏の外交僧としての顔も持っていました。しかし、義龍との間に起きた宗教上の対立(永禄別伝の乱)により、一時期美濃を離れ、そのころから信玄と親しくなります。
ただ龍興の代になると、斜陽の斎藤氏を支えるために武田氏との同盟を締結するなど、美濃と甲斐の間を奔走しました。つまり斎藤氏と関係の深かった紹喜をつうじて武田氏に接近し、その外交役であった穴山梅雪となんらかの情報交換を行っていた可能性も考えられるのです。