想像の余地を残すドット絵表現の可能性 たかくらかずき×m7kenji対談 (8/15ページ)
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たかくら 想像の余地って、「ピーチ姫が美人かどうか」という話に象徴的だと思うんです。ファミコンの時は、粗いドットだから想像の余地の幅が広い分、期待感も高いわけです。でも、WiiUとか高解像度になってピーチ姫の顔がわかるようになってきたら、あんま俺の好みの顔じゃなかったなみたいな(笑)。
ゲームもどんどん解像度が高くなっていって描写力が映画的になってきていますよね。それはそれで好きなんですけど、ドットは半記号的につくることで小説や漫画のような想像の余地を生み、デジタルなのに工芸的な手作業感というか、アナログ感とか、味みたいなものがあると思っています。
映画の『ブレードランナー』とかもフィルムやビデオのノイズが良いアナログ感とか、味だったのがBlu-rayで観たらかつてのスモーキーさがなくなって、かっこ悪いみたいな。
ドット絵は懐古的な表現か?
──ドット絵は、ある意味で懐古的な表現ですが、それは近年続くデザインやファッション、音楽などのカルチャーシーンで起こっている80〜90年代リバイバルと関係があるとお考えでしょうか?
たかくら 単純にゲームや90年代カルチャーに育てられた人たちがクリエイターとして活躍し出したんじゃないかな。ドットについて言えば、僕はm7kenjiくんと逆で、それまでは自分の表現したい世界を高解像度で出してたけど、周りが引いちゃうんですよね。全部説明しちゃってたから。
で、試しにドット絵をやってみたら、わりと受け入れられた。解像度が低いことで、自分の持つ毒みたいなところをぼかしてくれるから「想像の余地」を無理やり入れられるのがいいなって。表現としての「ドット絵」というフックもあるし。