品川区荏原で行われた「5・24城南空襲を語り継ぐ会」に参加してきた (6/7ページ)
そしてすぐ、日々の忙しさの中で忘れ去ってしまう。しかし、先に挙げた「城南大空襲を語り継ぐ会」の人々などをはじめとする、一般の人々の熱意の一端に触れることで、我々は「その場限り」、「型通り」の「慰霊」や、「二度と戦争を起こしてはならない」といった「誓い」を済ませた後、そのまま「過去」を自分の意識から流し去ってしまうことを戒め、目を覚まさせてくれるのである。
■慰霊祭や終戦記念日などはいわば「祝祭」
日本の「終戦記念日」「慰霊祭」などとは事情が若干異なるかもしれないが、世界中の国々に建立されている「戦争記念碑」「革命記念碑」などを巡る様々な行事は、国の最大のモニュメントであり、「祝祭」だ。世界中の多くの国々では、そのような「祝祭」を通して、過去の記憶を喚起し、記憶の共有を促し、国民として、国との絆を強めてきた。そういった意味では、国を挙げての「祝祭」やモニュメントは、国民を一致団結させる「器」「メディア」とも言える。
■語り継ぐ目的は慰霊や平和の希求だけではない
それゆえ、毎年品川区で行われる「城南大空襲」に関する諸行事の意義とは、「後世に語り継ぐ」、そして「慰霊」「恒久平和の希求」ばかりではない。「歴史」に位置づけようとする、歴史研究者を含む後世の人々の営みを明らかにすることをも含まれる。何故なら、歴史学者の大濱徹也によると、「歴史的価値」というものは自明の理としてあるのではない。その人間、歴史の研究者が明日をどのような社会、或いはどのようなものとして描きたいかというところから、生じてくるという。しかも歴史研究者の「目」は、必ずしも「真実」とは限らない。時代に規定された「目」でしかない。そのため、その時々の政治や社会状況に影響されてしまう「危うさ」もある。だからこそ、保存された「歴史的」な記録、現物などの資料を、冷静かつ客観的に「読み直す」。そして「明日」を問いただすためには、その「場」に現在住んでいる人々の足元を見つめる。更には「場」そのものが問われていると指摘している。
■過去を知って今を知る。そして自らの考えや立場を明らかにすることが重要。