【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第23話 (15/17ページ)
幸い無事に済んだが、一歩間違えれば国政と同じ大惨事になっていた。
(そういう事だったのか)
国芳は慕っている国直の怪我の真相を知り、蒼白になった。
豊国はその事を聞き及び、呵責の念にさいなまれたという。
「深く沈みこんだ時、わっちが初めて歩みを止めて振り返るとそこに、国政がいた。・・・・・・」
輝かしい人気絵師の道から一人外れ、豊国が憐れみで与えた狭い部屋で哀しく役者の面を作っていたはずの国政が。豊国自身、置き去りにしてきてしまった事を心のどこかで重荷に思っていたあの国政が。
「国政は、役者絵の名手として世間から称賛を浴びていた時よりよっぽど生き生きと楽しそうに、魂のこもった張り子の面を生み出しては売り歩き、たくさんの子どもやその親たちを笑顔にしていた。あいつはわっちを見て言った。『父っつぁん、そろそろその鬼のお面を外してはどうですか』と。」
豊国は胸を衝かれた。わっちはいったい、何を守ろうとしていたのだろう、と。
「流派てなア、鵺(ぬえ)みてえなもんだ。癖も得手不得手も何もかもが違う、人の技の集合だ。わっちは歌川流を守ろうとするあまり、生身の弟子の筆から目を背け、個性を殺し、大衆に好まれるような絵を描かせた。だが、それが全てじゃアなかった」
国政の張り子の面のように、様々な個性で結果として人を喜ばせる絵を描く。それもまた一つの「歌川流」のかたちなのだと、豊国は国政によって気付かされたのである。
「ただ、わっちゃア気が付くのが遅すぎた。精力的に新しい弟子を取るには、いささか歳を取り過ぎていた。そして気付きもしなかったが、国政はその頃すでに病にかかっていた。ようやく目の覚めたわっちは、己の愚かさに苦悩した。そんな時、国政が珍しくわっちにある話を持ちかけた」
国政は言った。
先生に紹介したい子どもがいる、と。
聞けば、国政が豊国の門下に入る以前に働いていた紺屋の倅だという。付いていくと、
「その紺屋の倅てえなア、国芳、まだほんの子どものおめえだった」。
古ぼけた貧乏くさい紺屋の壁に似つかわしくないほど活き活きとした鍾馗の絵が、壁に無造作に飾られていた。