【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第29話 (2/12ページ)

Japaaan

こねえに豪奢な屏風絵を贈られて、緊張しねえわきゃねえやナ」

背後には、渓斎英泉から贈られた見事な大屏風が立てられていた。夜には見世の間口に出して、ますます客を呼び込む心算である。

見上げるほどの大屏風には、水滸伝に登場する美人の一人、母夜叉孫二娘(ぼやしゃそんじじょう)が見事な英泉流の肉筆で描かれていた。

孫二娘は、切り盛りする居酒屋で金の匂いのする旅客を殺しては金品を盗み、死体を人肉饅頭にして売っていたという恐るべき毒婦である。

屏風には、また一人手に掛けようと企む孫二娘が、標的の男に向かって媚態を示す様子が巧みに描き出されている。女は唐風に髪をおろし、妖しく湿った陰翳のある眼差しで、男に微笑みかけている。英泉特有の歪(いびつ)な女の手が差し出すその杯にこそ、男の四肢を痺れさせる毒酒が注がれているのである。

みつは、鏡ごしに屏風を睨みつけた。

歪んだ匂香を醸す孫二娘のあやうさと、まんまと思惑に嵌められる旅客の滑稽。

うぶ毛まで丁寧に描き込まれている分、どちらも気味が悪いほどに、生々しい。

天晴れとしか言いようのない出来であった。

水滸伝は英泉が選びそうにもない雄々しい画題だが、彼はそれを見事に自己流に昇華させてみせたのだ。

貴重な「渓斎英泉の肉筆」見たさに岡本屋に揚がろうという客も既に居るらしい。

・・・・・・

さて、勝負の事である。

英泉と国芳、八朔の夜に評判を取った方が勝ちと決めて始めたこの勝負。

一方の国芳の作品は、未だ届かない。

みつの不安は、胡粉の粉を紙上に散らすようにぱたぱたと少しずつ、しかし今となってはもはや拭いがたいほどに厚みを増している。

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