【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第29話 (8/12ページ)
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俺が知っているあのお転婆は、一体エ誰だったんでしょうね」
道中で肩貸しを務める若い衆の直吉が、みつの前に現れて憎まれ口を叩いたが、口とは裏腹に頬はほのぼのと桃に染まり、自分が肩を貸す紫野花魁にうっとりと見惚れている。
直吉自身も頭には吉原被り、白地を半分紺に染め抜いた浴衣をすらりと着流し、腰先に帯をきゅっと締めた姿がひどく様になっていて、新造たちが騒いだ。いよいよ花魁の花嫁道中という雰囲気が、岡本屋全体が高揚させている。
・・・・・・
「ねえ、お母はん」。
高さ六寸の三枚歯に足を通し、岡本屋の土間を出る直前、みつは見送るお内儀に話しかけた。
「何だい」
「お父はんと一緒になる前、お働きしていた頃、本気で男の人に惚れちゃった事、ある?」
お内儀がまあるい頬でふっと柔らかく笑った。
「あるさ、何度も」
お内儀も、元は女郎である。こっそりそう言った後、遠い目をした。
「間夫がなければ女郎は闇、ってね。何度も何度も裏切られて傷ついた。それでも懲りずに、今もまだこんなところに居る。可笑しいね」
(今の旦那より、もっと惚れた人が居たんだろうか。・・・・・・)
女郎と一緒になるという約束を律儀に守る男など、噺家の作った調子のいい嘘だ。その事は、お内儀が一番知っている。少し淋しげに笑ったお内儀に、みつは凛として言った。
「ちっとも可笑しくなんかない。お母はんは、立派な人だって、ずっと前から知ってた」
お内儀は思わずほろりとして、みつの頬を淡く撫でた。
「おめえ、綺麗だよ。