何時の世にも桜は咲き散る。宮中の官女たちが桜を題材に好み楽しんだ「連歌」とは何か? (2/9ページ)

Japaaan

「官女」になることのできる女性は、格式の高い高貴な家柄出身のお嬢様です。いくらお金に困ったことのない彼女たちでも、宮中で仕える「官女」という身分になったからには、宮中の中に住み込み、簡単に外出などできる自由はありません。

しかし春は皆に平等にやってきます。宮中でもせめて桜の花を活けて春の気分を味わおうということなのです。

連歌の文化的背景

連歌は鎌倉時代の頃よりその形が定まり、貴族や戦国武将達にとっても“必須の教養”とされました。貴族の邸宅や、格式の高い寺社などで数々の「連歌会」が催されました。

そして連歌会は宮廷文化の知的遊戯と言えるものとなり、また遊戯の枠を越えてコミュニケーションの場として、また政治的な繋がりや分断をも生み出す機会ともなったのです。

連歌会を行うには数々の作法があり、その一つに“その季節に応じた花を活ける”というものがありました。春爛漫、宮中で“桜”の花が活けてあり、となれば連歌会が行われるのは自然の流れだったのです。

連歌とは

連歌とは“和歌”から派生した短歌の「上の句」(五・七・五)と「下の句」(七・七)を2人で分けて詠み、一首を完成させる「短連歌」(たんれんが)から誕生しました。

短歌の上の句にあたる「長句」と下の句である「短句」を、複数人の詠み手で3句以上交互に連ねて詠む連歌が生まれたのです。

連歌の醍醐味はさまざまな人が歌を詠みついでいくうちに、最初は思いもよらなかった“変化”が歌の流れに生まれることです。

しかし連歌はただ単に前の人が歌った歌に、自分の作った句を付句していくだけのものではありません。そこには様々な規則や作法が存在するのです。

「何時の世にも桜は咲き散る。宮中の官女たちが桜を題材に好み楽しんだ「連歌」とは何か?」のページです。デイリーニュースオンラインは、連歌花筵愛宕百韻官女月岡芳年カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る