「鎌倉殿の13人」ついに比企一族の滅亡。頼家が目を覚ますと…第31回放送「諦めの悪い男」振り返り (11/12ページ)

Japaaan

比企一族の滅亡(イメージ)

『吾妻鏡』では焼け死んだことになっている一幡ですが、『愚管抄』では義時がこれを匿っています。

サテソノ年ノ十一月三日。終ニ一万若ヲバ義時トリテヲキテ。藤馬ト云郎等ニサシコロサセテウヅミテケリ。

※『愚管抄』第六巻より

その年とは建仁3年(1203年)の11月3日。義時は匿っていた一幡を藤馬(とうま。トウのモデル?)という郎党に刺殺させ、その遺体を埋めたのだとか。

理由は定かでないものの、政子あたりに頼まれて匿っていたのを、時政に見つかって守り切れずに泣く泣く殺した可能性も考えられます。

『吾妻鏡』における時政と義時の関係を、大河ドラマでは義時と泰時にスライドさせているようです。

第32回放送「災いの種」

さて、比企一族を滅ぼして千幡を鎌倉殿に……と思っていたら、ずっと意識不明だった頼家がまさk……もとい奇跡の回復。

それにしても、せっかく命が助かったと言うのに誰も喜んでくれない状況ってのは、なんとも可哀想でなりませんね。

(チッ、さっさと死ねばよかったものを……)そんな義時の舌打ちが聞こえてきそう。諦めの悪い男というのは、頼家のしぶとさも指していたのかも知れません。

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