「鎌倉殿の13人」ついに比企一族の滅亡。頼家が目を覚ますと…第31回放送「諦めの悪い男」振り返り (7/12ページ)
が、義盛は北条派なのでこれを時政に通報、書状を届ける使者となった堀藤次親家(ほり とうじちかいえ)は時政の指令を受けた工藤小次郎行光(くどう こじろうゆきみつ)に殺されました。
一方の忠常は頼家からの任務を遂行したものかどうか迷っていたのか、あるいは「比企能員をこの手で暗殺したのだから、わざわざ意思表明するまでもなく自分は北条派だ」と思っていたのかは分かりませんが、どっちつかずの態度をとっています。
これが後に悲劇を招くのですが、その辺りは次回のお楽しみにとっておきましょう。
なお、実際に頼家が出家したのは9月7日。政子の指示によって仕方なくではあるものの、こうでもしなければ我が子を守れないという親心によるものと信じたいところです。
しかし、頼朝の時みたいに髻を切るだけではダメだったのでしょうか。
比企能員の後悔さて、先手を打って敵を滅ぼす……そんな頼朝のやり方を踏襲する義時は、能員との最後の交渉を父・時政に依頼します。
時政と久しぶりに語り合った能員は、かつて頼朝の挙兵にすぐさま馳せ参じていれば、石橋山の合戦に敗れることもなかったと後悔を洩らしました。
それが翌日の伏線となるのですが、単身かつ丸腰で名越の北条館へノコノコ出向く能員。待ち構えていたのは、鎧姿の時政。