「鎌倉殿の13人」一幡の死と頼家の追放。そして……第32回放送「災いの種」振り返り (10/12ページ)

Japaaan

可行向之由。被仰件女房之間。乞取其状之後。定嫁娶之儀云々。

※『吾妻鏡』建久3年(1192年)9月25日条

【意訳】頼朝に仕えていた比奈が、この日義時に嫁いだ。彼女は比企朝宗(ひき ともむね)の娘で当時一番の美女として頼朝の寵愛を受け、高飛車だった。彼女に一目ぼれした義時はこの一、二年ほど何度もラブレターを送り続けたが、完全に脈無し。それでも諦め切れない義時が頼朝に泣きつき、「絶対に離縁しない」と起請文を書いてどうにか結婚にこぎつけたのだった(当然、正室としての待遇である)。

……この「義時ストーカー事件」は八重さんへのアプローチという形に変換され、比奈に対しては消極的な様子が描かれていましたが、実際はこんなところだったと言います。

果たして生まれた二人息子の兄・北条朝時は女性スキャンダルを起こすなど比較的はっちゃけた性格、一方の北条重時はそんな兄を見ているためか比較的慎み深い性格に。

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